【由緒】 【若江の由来】 【社殿】 【末社】

【由緒】  

当社は、東大阪市若江南町2丁目3番9号に鎮座し、境内地は約二千坪を有します。
延喜式内の古社でありますが、創建年代は不詳です。
しかし、「文徳実録」(六国史)の斉衡元年(854年)卯朔丙辰に『授河内之国大雷火明之神従五位下』と記されていることからも、少なくとも1200年近くはこの地に鎮座している、相当な古社であるといえます。
神社及び数多くの宝物は、大阪夏の陣で兵火にあい焼失しました。

若江城城主畠山政長より三好左京大夫源義継までの代々の城主の崇敬するところとなり、神饌田の寄進までされたり、寛永年間は公儀の費用を持って修復がなされていたようです。
明治5年に郷社に列し、同41年1月神饌幣帛料供進の指定にもなりました。

当社の氏子地域は、現在東大阪市若江南町・東町・本町・北町・西新町となっていますが、明治の中頃までは、若江南・若江北・西郡・友井・近江堂・上小阪・下小阪・宝持・東岩田・西岩田・菱江新田等、十二地区の郷社でした。


【若江の由来】


神功皇后御在世四年六月に大旱魃があり、近郷一帯の農作物が殆ど枯死寸前に至ったとき、神官、国司、氏子が一丸となり、ご神前で大般若経(東大阪市重要文化財)を唱読し祈願したところ、14日目に神社裏の淵より清水が湧き出し危機を救ったと言います。これより、般若経の「若」と水の源の「江」をとり、六十余ヶ村を若江郡と称せられたということです。

元より御祭神は、人間生活上最も必要な水と深い縁があり、石燈篭を見ても雨乞い祈願成就の御礼として奉納された物も多数見られ、氏子地域の守り神として深く信仰されていました。


【社殿】

当社ご本殿は、大阪夏の陣にて焼失し、現在のものは文政11年(1828年)に再建されたものです。
三間社流造で亀腹上に建てられており、文化、文政期の社殿建築の特色を示すものとして貴重なものとなっております。
即ち、一間社流造2棟を中央に相殿を入れて連結しためずらしい遺構であり、
昭和49年3月25日東大阪市文化財保護条例により、有形文化財に指定されました。

 


【末社】


ご本殿のほかに、天照皇大神社(伊勢神宮)、塚本稲荷社(農業、商売繁盛)、熊野権現社(熊野三山の神様)、水神社(水を司る神様)、八雲歓喜天社(カヤのご神木に住む己さんを祀る)、ご縁地蔵社(当社に置き去りになられていたお地蔵様)等の末社を祀る。


    

 天照皇大神社    塚本稲荷社    熊野権現社      水神社


   

 八雲歓喜天社    ご縁地蔵社